单项选择题

(3) 多くの大人は、子供よりも先に生きているから、自分の方が人生を知っていると思 っている。しかしこれはウソである。彼らが知っているのは「生活」であって、決し て「人生」ではない。生活の仕方、いかに生活するかを知っているのを、人生を知っ ていることだと思っている。そして生活を教えることが、人生を教えることだと間違 えているのである。しかし、「生活」と「人生」とはどちらも「ライフ」だが、この 両者は大違いである。「何のために」生活するのと問われたら、どう答えるだろう。 こういう基本的なところで大間違いをしているから、小中学校で仕事体験をさせよ うといった愚(注 1)にもつかない教育になる。(中略)生活の必要のない年齢には、生 活に必要のないことを学ぶ必要があるのだ。それはこの年齢、このわずかな期間にの み許された、きわめて貴重な時間なのだ。生活に必要のないことは、人生に必要なこ とだ。すなわち、人生とは何かを考えるための時間があるのは、この年代の特権なの である。 「人生とは何か」 とは、そこにおいて生活が可能となるところの生存そのもの、こ れを問う問いである。「生きている」、すなわち「存在する」とは、どういうことなの か。 この問いの不思議に気がつけば、どの教科も、それを純粋に知ることの面白さがわ かるはずだ。国語においては言葉、算数においては数と図形、理科においては物質と 生命、社会においては人倫(注 2)、どれもこの存在と宇宙の不思議を知ろうとするも のだと知るはずだ。人間精神の普遍的な営みとして、自分と無縁なものはひとつもな い。どれも自分の人生の役に立つ学びだと知るはずなのだ。 (池田晶子『人間自身――考えることに終わりなく』による) (注 1)愚にもつかない:ここでは、ばかばかしい (注 2)人倫:人として守るべき道 多くの大人について、筆者はどのように考えているか。

A.生活も人生もわかっていない。
B.生活と人生の違いがわかっていない。
C.生活と人生の両方を教えている。
D.生活と人生の違いを教えている。