单项选择题
以下は、ある芸術家が書いた文章である。 人間は動物とちがって、知的な活動、その情熱をもっている。おさなくたって、魂の
衝動は強いのだ。だから子供は描きたがる。形、色にして確かめる。だが問題は自分
のなかにあるものを外に突き出す、投げ出すという行為自体であって、決して出来上 りの効果ではない。
だから子供は描きおわってしまったものはふり向きもしない。捨てられたって何とも
思わないのだ、(中略)それを大事そうに拾いあげて、「これは面白い。」「坊やは才能 がある。これをうまく伸ばせば、将来えらい画家になるかもしれない。」などと、観 賞したり評価するのは、いつでも大人で、子供自身は、もしほめられても、そんなも のかなと聞いているだけである。 だから「子供の絵」というような言い方の、根本に何か間違いがある、と私は思う。 描いたものには違いないが、「作品」ではない。その以前の、もっと根源的な何もの かなのである。
「絵」などというから、大人の「絵画作品」と混同して考えてしまう。そこにズレが おこる。大人のは見せる芸であり、商品である。はじめから観賞すること、してもら うことを目的とし、結果を予測しながら作り上げたものなのだ。 いわゆる「絵描きさん」となると、描いている瞬間瞬間に、結果がわかっている。こ うやれば、こうなる。習練(注 1)と経験によって、色やタッチ(注 2)の効果が計算で きるし、生命の衝動、情熱、無目的な行動よりも、結果の方に神経が働いてしまう。 出来ばえに、逆にひきずり回されているのだ。
しかも、大向こう(注 3)の気配まですでに見すかして、……こんな趣向は喜ばれるだ ろう、これはちょっとやりすぎかな、などと意識無意識に、そんな手応えにあわせ ながら仕事をすすめている。評判をとり、買手がついてくれなければ食ってゆけない し、社会が許さない。生活はきびしいのだ。無償の行為というわけにはいかない。 明らかに「作品」つまり「商品」を作っているのである。 大人の作品だって、本質的には生命力こそ肝要なのだ。自分の存在を純粋に外に投げ 出す、突き出すアクションの質、強さによって、猛烈な魅力になる。 私自身は、少なくともそのつもりである。よく、あなたの絵はわけがわからないと言 われるが、「絵」でございます、というようなものは作りたくない。それ以前、そし て以後のものをひたすらつきつける。――絵ではなく、芸術。そして出来るかぎり他
の評価を無視したいと思っている。
(注 1)習練:練習
(注 2)タッチ:ここでは、筆の使い方
(注 3)大向こう:ここでは、観賞する人々
(岡本太郎『美しく怒れ』による)
筆者は芸術をどのようにとらえているか。
A.人を引きつける魅力的なもの。
B.情熱に突き動かされて作るもの。
C.他人には理解できないようなもの。
D.人間の生命力を巧みに表現するもの。