单项选择题
本というのは、人間と同じようなものだ。一律の価値によって優劣を決めることは できない。人気者がいるのと同じように、ベストセラーがある。嫌われ者がいるよう に、誰からも手に取られない本もある。だが、どれもがそれぞれの価値を持っている。 それを求めている人の手に求めているときに渡れば、それは良書になる。
それゆえ、私はインターネットの書評サイトなどで、まるで自分を神であるかのよ うに本の優劣を断定しているものには激しい抵抗を感じる。もちろん、書評をするの は悪いことではない。本を批判したりほめたりするのも、もちろん大事なことだ。だ が、あくまでもそれは、その人の知識と関心と人柄によっての判断でしかない。つい 神の立場でものを言いたくなる気持ちはわからないでもないが、それはあまりに傲慢 というものだろう。
私の本も、インターネットの書評サイトでかなり叩かれているものがある。それは それでやむをえないと思っている。ある程度売れると、それをけなしたがる人間がい るものだ。本をけなすと、自分が著者よりも偉くなったような気がするのだろう。私 自身も本を書くようになる前、いや、正直に言うとある程度売れる本を出すようにな る前、他人の本をずいぶんけなしたものだ。
ただきわめて心外なのは、ないものねだりをしている評があまりに多いことだ。た とえば、私はある参考書を出している。その趣旨としていることは、「大学の小論文 試験に何とか合格できるだけのレベルの小論文が書けるようにするため、最低限これ だけの知識は持っていてほしい」という知識を整理した参考書だ。だから、私はその 本の中では、敢えて難しいことは書いていない。ところが、その参考書を酷評する(注) 書評がある。そして、その評の中には「この本を読んでも、かろうじて合格するくら いの力しかつかない」と書かれている。
私は、まさしくかろうじて合格するくらいの力をつけるためにその本を書いている
のだ。かろうじて合格すれば、その本は最高の良書だろう。私がそのような意味で敢
えてカットしたことを取り上げて、それが書かれていないからと批判されても、こち らとしては困ってしまう。
そのような身勝手な書評がなんと多いことか。知識のある人間が入門書を幼稚すぎ るとけなし、知識のない人間が専門書をわかりにくいとけなす。しかし、それは単に 自分の背丈にあっていない本を求めただけのことに過ぎない。きちんと自分の背丈に あった本を探して買うのが、読者の務めだと、私は思う。
本について語るからには、あらゆる本に愛情を持つべきだと私は考えている。そう してこそ、本を批判する資格を持つと思うのだ。
(樋口裕一『差がつく読書』による)
(注)酷評する:ひどく厳しい評価を下す
本を批評する人に対して、筆者が言いたいことは何か。
A.著者のあらゆる本を読むべきだ。
B.極端に否定的な評価は避けるべきだ。
C.それぞれの本の存在価値を認めるべきだ。
D.どのような本にも先入観なしで接するべきだ。