单项选择题

[三]

トーストの焼き上がりがよく 我が部屋の空気 ようよう夏になりゆく

この一首は、朝食のパンを焼いていて「あっ」と思った。それまでは五分かかっていたトースト(烤面包片)が、今朝は四分半で、しかもぱりっと焼けている。こんなところにも夏が来ているんだなあ、という心の揺れ。

実はこの歌には、遠いところで下敷きになっている記憶がある。子どもの頃、母は毎朝、家族それぞれの好みに合わせて半熟、三分熟と卵をゆでてくれた。「すごいなあ」と私は感心したものである。

ある日のこと、寒い寒い朝を迎えた。「お水もずいぶん冷たいわねえ。いつもより長めにゆでなくっちゃ」と母。半熟なら何分、という単純なことではなく、水温によっても、ゆで時間は変わってくるのだ。

卵のゆで時間にも反映する季節の移り変わり。へえっなーるほど、と思った。その時の「へえっ」が心の底のほうに沈殿していたのだろう。トーストの焼けぐあいが違うことに気づいたとき、ぱっと「卵のゆで時間」の記憶が浮かんできた。

こんなふうに、いくつか似た経験が重なって「揺れ」の輪郭がはっきりしてくることも多い。「あっ」と声は出さないまでも、その「揺れ」がいつかは言葉という語りになるときが、きっとくる。私は、そんなふうなまだ形になっていない「あっ」という小さな断片を、感動の貯金と呼んでいる。すぐには使えなくても、しっかり貯めておくことが大切だ。私自身のことを振り返ってみると、とても大きな貯金箱となったものがある。

学生時代、家族にあてて、せっせと葉書を書いた。東京に出てきて、初めての一人暮らし。寂しくてしかたなかった。家族とのなんでもない日常会話が、突然なくなってしまったことが、一番こたえる。朝起きて「おはよう」という人がいない。「今日こんなことがあってねー」と無駄話をする人がいない。そういうものの良さというのは、なくなってみて初めて分かる。

葉書は、言ってみれば日常会話の代わりとして書き続けられたのだと思う。内容は、肉の安いスーパーを見つけたとか、東京の人は雨が降ってもあんまり傘をささないみたいだとか、まことに取るに足りないものばかり、けれどそんな日常雑記のなかに、何年か後、形を変えて歌になったような感覚が、ひょこっと混ざっていたりするのだ。

「だんだん暑くなってきました。朝起きると汗をかいていたりします。でも、暑いねーと話しかける人もいないので、ただ黙って朝ごはん。これがやっぱり寂しいなあ。」

「寒いね」と話しかければ 「寒いね」と答える人のいるあたたかさこの歌は、実はずっと後で、恋の場面で生まれたもの。が、遠く学生時代の葉書にも、すでに歌の種はあったことが分かる。答える人のいない寂しさを味わったことのある心だからこそ、答える人の暖かさに、揺れることが出来たのだ、と思う。

文中の「歌の種」と考えられるものはどれか。

A.心の記憶
B.季節を感じる心
C.心の揺れ
D.恋の心