问答题

  41、灯火器具やラジオ、時計、剃刀に至るまで、私たちの生活がコードレス化(无线化)されてきている中で、電池の普及はとどまるところを知らない。そして電池には一度使い、放電すると充電のきかない乾電池と、何回でも充電放電を繰り返し、いつまでも使用できる蓄電池がある。

  このことを人間に充当すれば、まさに人生は放電を充電の繰り返しと言ってよい。充電しつつ放電し、放電しつつ充電している。その方法において、乾電池型の人生と蓄電池型の人生が分かれてくる。

  42、学生時代は、親教師友人先輩など、いわばコード化された、恵まれた中にあっても、社会人となればコードのない、自らコントロールせねばならなぬ生活に移ると見てもよい。したがって学校を出てから本当の充電(技術や教養の体得)が始まり、先の2型で人生の色合いが違ってくる。充電には、読書、人の話を聴く、事物の観察、物事を考えるなどさまざまな方法がある。

  43、十河信二氏(第四代国鉄総裁)は、96歳になっても、世界経済とか国際情勢について読書に熱中し、専門家レベルの分析をしていた。そして、「人間、いつ呼び出されてもいいように、勉強だけは続けなくてはいけないのだ」と常々言っていたという。蓄電池型の人生である

  44、生活経験もなく、本の知識を自慢することは、放電にポイントがあると見てよい。放電しっぱなしの乾電池に近い。乾電池型の生活を繰り返すと、硬直化してしまい液漏れが起きる。化けの皮は、すぐに剥がれてしまうのである。蓄電池型の人生とたいへんな違いを生み出す

  充電には、大脳生理学的裏づけがあり、蓄電池型の強力なささえとなっている。脳は使わないとボケるのである。(中略)幸いにも今日の大脳生理学によると、頭は使えば使うほど、ボケなくてすむという。20代から60代まであんまり頭を使わない人は、早くボケてくるとのこと。のんびりしてはいられない。ジューデン、チクデンは、生かしの合図と覚えておこう。

  充電の方法が読書によるのみではないことは、すでにふれた。「忘年の交わり」という補いをしておこう。45、若いときは老人を交わり、老いては青年と交わる。老人は若い人と交わって、その経験や学問を教え、若い者は老人の歩いた足取り(足迹)から吸収して飛躍を目ざす。老人は若者のバイタリティ(活力)と新鮮な発想を学ぶ。人との交わりによる充電方法である。蓄電型と蓄電型の相乗効果のみでなく、忘年の交わりのある社会へと一歩前進したいと思うからである。

【参考答案】

十河信二氏(第四代国铁总裁)即便到了96岁高龄,仍然醉心于阅读世界经济和国际政治相关的书籍,并能做出专家级别的分析。而且......

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