单项选择题

問題12 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1 2 3 4から一つ 選びなさい。 眺めていると、東京の空には意外にたくさんの鳥が飛んでいる。カラスやスズメばかりではない。カ モメもいるし、僕には種類のよくわからない鳥もいる。それらは町人や人家に「適応」した都市鳥では なく、野生の鳥である。そのような鳥が、コンクリートのビルの上を何事もないように飛び、何の屈託 もなく、ビルの一角にとまる。まるで森や林の木の枝にとまるように。 (中略) ツバメが人家の軒先に巣をつくるのは、スズメを避けるためだということを明らかにした研究がある。 スズメはふだんはあまり人間を恐れないが、ひなを育てるときは人間を避ける。だから、人がひんぱん に出入りする店先などには巣をかけない。ツバメはそれを利用する。そういう店先の軒に巣をつくれば、 嫌なスズメはやってこない。昔、ツバメがたくさん巣をかけると、店は繁盛するといわれた。話は逆で あって、繁盛している店にツバメが集まってくるのである。 今、大都市にはツバメがめっきりすくなくなった。かつてのように、どの通りを歩いていても、子育 てのために餌を持ち帰るツバメが飛び交う姿は見られなくなった。おそらくツバメたちは、町そのもの のつくりや、人間の存在が嫌いになったのではないだろう。町が人工的にきれいになりすぎて、餌にす る虫があまりにも減ってしまったので、町ではひなも育てられなくなったから、都会には棲ま(注1) なくなったのである。 こういう事例を見ていると、自然保護とか自然との共生ということについて、少し考え直す必要があ るのではないか、という気がしてくる。 多くの動物たちはわれわれが思っていたよりもずっとしたたかである。自分たちの生活の基盤になる 条件さえそろっていれば、たとえその条件が人工のものであとうとも、そしてそこをたくさんの人間が うろうろしていようとも、平気で棲みついてしまう。カラスやツバメのように、人間がいることをむし ろ利用しているものだって、けっして少ないとはいえない。都市周辺で急速に増えつつあるタヌキやキ ツネもその例である。人間がいるおかげで豊富な食物がたやすく手にはいるようになった。命がけで食 物を探す必要はなくなったのだ。 けれど、都市化によってツバメは餌を失った。モンシロチョウ(注2)は日なたを失った。 す (注1)棲む:住む (注2)モンシロチョウ:チョウの一種類 (注3)アメンボ:昆虫の名前 ふえいようか (注4)富栄養化:栄養のある物質がたまり、小さい生物が異常発生する状態になること ツバメが人家の軒先に巣をつくる理由として適当なのはどれか。

A.人家の軒先では、ツバメが子育てに必要な 餌 を得ることができるから
B.人家の軒先は、店の軒先ほど人の出入りがひんぱんではないから
C.ツバメの天敵であるスズメが、常に人間を恐れて近寄らないから
D.ツバメの嫌うスズメが、人のいるところではひなを育てないから
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单项选择题
(1)以下は,市民向け講座の講師を務めた大学教員の話である。正直なことをいうと、成人した人々の集まりである NHK 文化センターで,美術史の話をするのは,最初 はかなり疑わしい気分だった。というのは、多かれ少なかれ社会に出たり、家庭を持ったりした経験が あって、それなりの見識なり専門なりを持ている人々が、いまさら“役にも立たぬ”過去の芸術に、そ れほど深い興味を持つだるうなどとは思えなかったからである。また、仮に持ったとしても、それは、 自分の好みに合った美術品を,楽しんで眺める、といった種類のものかと思っていた。ところが、それが 大変な間違いだということがわかった。ひたひたと押し寄せてくる、にせものでない,深い興味が近頃の大学生にこそ見つけることのできない ものであった。はたちになるやならずの若者たちは,多くの場合,単位をとるためにそこにいるのであっ て、どこまで心からきょうみを抱いてそこにいるのか全く疑わしい。(中略)市民講座の熱心さは、かつ て,喜びもなく学生時代を過ごしてしまった人々の、いわばノスタルシーの場合なのであるうか。失われ て初めて、その喜びを知ったというわけなのか.私はそう思うようになった。ところが、それもまた、間違いだということがわかった。1年と数カ月講座を続けた今は、あること がわかったのである。つまり、芸術は、子供には“わからない”ということである。芸術とは,人生の経 験であり、憧れであり、また失望と悲哀である。一片の絵にも,人生が詰まっている。人生を生きていな いものに、絵がわかるわけがない。もちろん、若者でも、ある程度はわかる。しかし、本当に深くわか るのは、すでに生きた人々である。(みどり「レットイットビー」による)(注)ノスタルジー:過ぎた日々を懐かしがること50 大変な間違いだたあるが、何が間違いだったのか。
A.家庭を持って人が市民講座を聞きに来るとは思えなかったこと
B.専門知識のある人は自分の話を理解できるだろうと思っていたこと
C.社会経験のある人が美術史に大きな関心を示すとは思えなかったこと
D.美術の見識を持った人なら過去の芸術の話に興味を持つと思っていたこと
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