单项选择题

問題10.次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1234から一つ 選びなさい。 以上は、筆者が著書の中で「哲学の役割」について書いたものである。 ここで大切なのは、とりわけ科学の意義と限界をしっかりと見定めて、人間 的知の全体をほんとに見渡しうる哲学的知の立場を我がものとすることにあ る。というのは、科学的知は、二つの限界を持ち、その限界内でしか意義を持 たないからである。 かか 一つには、科学的知は、対象を突き放して、第三者的立場で、自分に 関 わ のない客観的事象として眺め、しかも、必ずそのつど、特定の観点からだけ対象を扱い、自分が関心を しゃしょう 持つ側面だけを取り上げ、それ以外の局面を 捨 象 し、 (注) 決して対象の全体を見ようとはしないのである。だから、科学が進むと、細分化が必至となり、隣の研 究室でやっていることが、お互いにはまったく分からなくなる。専門化と特殊化が、科学の運命であり、 いかに学際化が叫ばれても、根本的には①この傾向には歯止めが利かない。それはちょうど、近代的病 院で、病気を扱う諸部門が、外科や内科等々として、細かく分かれ、人間全体を扱ってくれる部署が存 在しないのと、同様である。 二つには、科学的知は、対象を、自分と無関係な事柄として扱う客観性がその特色をなしているので、 そこでは、私たちが、自己として、主体的に決断して実践的に生きてゆく行為の問題を、本質的に扱う ことができないのである。というのも、ある状況のなかで、いかに生きるべきかをよく考えて、決断し、 こ 行為してゆくためには、来し方行く末をよく熟慮して、もはや無い過去と、いまだ無い将来とを視野に 収めながら、現在の状況のなかに突き入ってゆかねばならない。しかし、そのような無いものを視野に 収めながら、記憶と期待の熱い思いを抱きつつ行為することは、知覚的に有る現在の事実に検証される ことによってのみ確実性を得ようとする科学の実証性とは、まったく別個の事柄だからである。客観的 な事実確認のみを大事と考える科学の次元と、人生の岐路に立って、右すべきか左すべきかに思い悩む 行為者の立場とは、別個の事柄である。②科学は、いかに生きるべきかという後者の問題を、本質的に 扱うことができないのである。 したがって、科学とは別に、存在の全体を視野に収め、世界のあり方の原理的全体を考慮して、世界観 はぐく の知を 育 むと同時に、そのなかで、人間はいかに生きるべきであるのかという、人間の主体的な行為の 根本を考究して、人生観の知を形成するところに、哲学的な知の本質的な成立根拠があることになる。哲 学が愛し求める真実の知とは、こうした人生観世界観の根本的にほかならない。 ( 二郎 『現代の哲学』 による ) (注)捨象(しゃしょう)する:捨て去る 科学的にもごとを見るとういうことを、筆者はどうのようにとらえているか。

A.現在の事象の一部だけを取り上げて客観的な立場で検証する。
B.関心のある対象だけを客観的な立場で検証し未来を予測する。
C.過去の経験をもとにして客観的な立場で現在の状況を扱う。
D.人間的知の全体を客観的な立場からだけとらえる。
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单项选择题
(1)以下は,市民向け講座の講師を務めた大学教員の話である。正直なことをいうと、成人した人々の集まりである NHK 文化センターで,美術史の話をするのは,最初 はかなり疑わしい気分だった。というのは、多かれ少なかれ社会に出たり、家庭を持ったりした経験が あって、それなりの見識なり専門なりを持ている人々が、いまさら“役にも立たぬ”過去の芸術に、そ れほど深い興味を持つだるうなどとは思えなかったからである。また、仮に持ったとしても、それは、 自分の好みに合った美術品を,楽しんで眺める、といった種類のものかと思っていた。ところが、それが 大変な間違いだということがわかった。ひたひたと押し寄せてくる、にせものでない,深い興味が近頃の大学生にこそ見つけることのできない ものであった。はたちになるやならずの若者たちは,多くの場合,単位をとるためにそこにいるのであっ て、どこまで心からきょうみを抱いてそこにいるのか全く疑わしい。(中略)市民講座の熱心さは、かつ て,喜びもなく学生時代を過ごしてしまった人々の、いわばノスタルシーの場合なのであるうか。失われ て初めて、その喜びを知ったというわけなのか.私はそう思うようになった。ところが、それもまた、間違いだということがわかった。1年と数カ月講座を続けた今は、あること がわかったのである。つまり、芸術は、子供には“わからない”ということである。芸術とは,人生の経 験であり、憧れであり、また失望と悲哀である。一片の絵にも,人生が詰まっている。人生を生きていな いものに、絵がわかるわけがない。もちろん、若者でも、ある程度はわかる。しかし、本当に深くわか るのは、すでに生きた人々である。(みどり「レットイットビー」による)(注)ノスタルジー:過ぎた日々を懐かしがること50 大変な間違いだたあるが、何が間違いだったのか。
A.家庭を持って人が市民講座を聞きに来るとは思えなかったこと
B.専門知識のある人は自分の話を理解できるだろうと思っていたこと
C.社会経験のある人が美術史に大きな関心を示すとは思えなかったこと
D.美術の見識を持った人なら過去の芸術の話に興味を持つと思っていたこと
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