单项选择题
[四]
社会が複雑になって分業が進み、生活に必要なことの多くを他人の手に委ねるようになると、人間の思考はバランスを失い、価値判断に前後の脈絡がなくなります。そのような社会現象がリサイクルに及び、「環境主義の両価性矛盾」を生み出しています。
「両価性」とは、本人がそうと気づかぬまま、同時に正反対の行動をとることを言います。たとえば、ケーキの食べ放題(自助餐)に夢中になりながら,ダイエットに精を出すといった行動です。
リサイクルは環境を守り、資源の枯渇を防ぐことをその目的としているので、環境に優しいことを標榜する製造メーカーは「製造量、販売量を少なくする。製品の寿命を延ばす」ことに全力を尽くすはずです。( ア )、現実には本音で減産、販売量の減少を目標としている会社はまずありません。むしろ、増産、販売量の増大を計画している場合がほとんどです。これは両価性です。(中略)
産業界全体を覆うこの両価性矛盾は、新聞などのマスコミにも広がっています。(中略)個人でも、会社では企業人として増産に知恵を絞り、家庭では市民としてものを倹約するという例が見受けられます。
本来、正常な人間は価値観の違うことを同時にすることにストレスを感じるものです。しかし、現在の日本では社会自体が大きな矛盾を抱えているので、両価性が直接的なストレスにならず、じわりじわりと社会を蝕んでいると言えるでしょう。
両価性矛盾は環境保護活動全般に及んでいます。その著しい例が、「リサイクル推進派の人で現実にリサイクルをしている人はまれだ」という現象です。ほとんどの人はペットボトルをリサイクル箱に入れたり、新聞紙を束ねて出したりしているだけで、実際にはリサイクルをしていないのです。
ペットボトルをリサイクルするというのは、自分でペットボトルを回収工場まで持っていき、そこできれいに洗ってラベルをはがし、キャップをとって成型器で成型し、もとのペットボトルにすることです。また、紙をリサイクルするというのは、「紙を束ねて出す」のではなく、自分で薬品を使ってインキを除き、夾雑物を取り去り、短い繊維を除き分け、抄いて紙にすることです。
かつて江戸時代に行われたリサイクルのほとんどは、自分でするリサイクルでした。そのためにリサイクルの苦労も体感していたし、リサイクルすることによってかえって生産を阻害することは避けました。もちろん、他人に向かって「私はリサイクルしている」などといったポーズをとることなど、考えもしなかったでしょう。
物事が現実のものとして感じられるときには、両価性は消えていきます。
筆者がこの文章で言いたいことはどれか。