单项选择题
[二]
少し前のことですが、こんな記事を新聞で読んだことがあります。小学三年生の子どもを毎日プールに連れてきている母親の話。なぜ、そんなことをするのか。「将来の受験のために体力を作るのです」というのが、その答えです。子どもの時代は受験のための待ち時間にすぎない、ということなのです。受験地獄という言葉があります。教育の歪みも、いまでは、ここまで来たのか。——これが、その記事を読んだ時の率直な印象でした。
もちろん、限られた人生ですから、未来のために長い目を持ち、しっかり準備することは、大切です。しかし、それが行き過ぎますと、現在という時が、つねに固有の意味を失って、将来のための準備の時になってしまう。そうすると、現在をほんとうに大切に生きることが、見逃される恐れが出てきはしないでしょうか。もしそんな形で、それぞれの時期に固有の意味を持った人間形成ができないのなら、うまく成長できず、幼児的な人間がつくられるだけではないでしょうか。そして未成熟の大人になり、老化していくだけの人生になるのではないでしょうか。
実際、最近の子どもたちは勉強に追われて遊ぶことを忘れ、学校でもクラブ活動をあまりしたがらないということをよく聞きます。そこからはいろいろな問題が出てくるように思えるのです。
普通、子どもたちは遊ぶ時に自分で創意工夫して、想像力を働かせ、豊かな世界を創り出すものです。たとえば、部屋の隅にぶら下がっている使い古した箒を跨ると、それが馬に化ける。あるいは広場に転がっている板切れが魔法に鏡に化ける。そのように、子どもたちは、もともと自由な創意を加えて楽しく遊ぶ術をよく知っている世代です。自由な遊びを通して彼らは想像力を養い、また集団の行動を通して仲間作りの力や、あるいはリーダーシップの能力を開発されもするのです。
こうした遊びの世界や自由に遊ぶ喜びを忘れるということは、子どもの時代に身につけるべき社会性や創造性が失われてしまうことを意味しています。ひいては、非個性的な人間になってしまうのが落ちでしょう。
この文章で筆者がもっとも言いたいことは何か。